卒業生の声

 

大阪女学院がわたしたちの母校です。

小島幸保 
(笹山・鷹堀・小島法律事務所パートナー弁護士)

1991年卒業 

小島幸保

大阪女学院高校英語科を卒業後、関西学院大学法学部政治学科に進学。1997年に司法試験合格後、大阪で弁護士として活動しています。大阪女学院では海外からの帰国生をはじめ、個性豊かな友人と接することで、素直に自分の意見を話せるようになり、その経験は今の仕事に直結しています。中学時代とは違う自由な雰囲気はとても新鮮でしたが、それは「自由=自分の行動に責任を持つ」ということでもありました。弁護士を志した大学卒業後、周囲からの反対の声もありましたが、私の背中を押したのは大阪女学院時代に意識した自立心や責任感だったと思います。思いやりや感謝など大阪女学院で学んだことは多く、これらを大切に今後も取り組んでいくつもりです。




岩本麻美子(エミレーツ航空客室乗務員)

1993年卒業 

小島幸保

私は大阪女学院中学、高校、短大を卒業し、現在ドバイ(アラブ首長国連邦)に在住し、エミレーツ航空の客室乗務員として働いています。大阪女学院の校風は自由で生徒ひとり一人の個性を尊重してくれました。季節ごとの行事にも積極的に取り組んでいて、みんなでひとつのものを創り上げる達成感を味わうことができました。また学習面では、英語に力を入れているのはもちろんのこと、交換留学生の受け入れや海外へのホームステイ研修など言葉だけでなく異文化に触れる機会を与えてくれました。このような環境の中、自然と「いつかは英語を話し、海外で働いてみたい」という夢を持つようになっていました。そして幸運なことに、現在は世界100カ国以上から客室乗務員を採用し、50カ国以上に就航するというユニークな会社に勤め、ドバイで毎日楽しく暮らしています。




田口智子(ソプラノ歌手)

1995年卒業

小島幸保

私は大阪女学院高校卒業後、音大に進み、ソプラノ歌手として現在はベルギーに住んでいます。

舞台歌手にとって大切なもののひとつは、「個性」と言われていますが、女学院での、のびのびとした高校生活は私の個性を大切に伸ばしてくれました。当時、歌っている時の自分が一番自由であると感じていたものの、それに対して自信を持っていいものかどうか分かりかねていた時に、合唱祭でソリストとしての活躍の場を与えていただいたり、先生方に心ゆくまで悩みをぶつけて励ましていただいたりしました。あの3年間は私にとって、精神面での基礎となり、現在の演奏活動やオーディションでの挫折時も自分を信じることを忘れない強さを与えてくれたと思います。


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2008年卒業生の作文 

私が初めてキリスト教と出会ったのは、幼稚園の時でした。当時カトリックの幼稚園に通っていたので、教会は隣にあったし、マリア祭や生誕劇などの行事もありました。もちろんその頃はあまり深くキリスト教のことはわからず、その後も公立の小学校に進んだのでキリスト教から離れた生活が続きました。

 しかし、女学院に入学してからは、キリスト教が生活の一部となりました。毎日二十分間の礼拝も、六年間出席していたのだと思うと何だか信じられません。

 私は、英語や数学を学ばなければならない様に、学校生活の中での義務の一つとして礼拝や聖書の時間をやり過ごしてきました。意味のない無駄な時間だと思ったこともあったし、聖書の内容に対して腹が立ったり、矛盾していると思ったこともありました。

 しかし、卒業間近になった今思うことは、神様が私を選んで下さって、またキリスト教に出会わせて下さったのではないかということです。そして神様は、六年間いろいろなことで悩み続けていた私に、聖書の言葉であったり、礼拝や修養会の講演を投げかけて解決するためのヒントを下さっていた気がします。

 私が六年間ずっとしおりをはさんでクラブでどうしたらいいのかわからなくなった時や受験勉強に行き詰った時に何度も助けてもらった聖書の箇所です。

 「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(コリント 10:13)

 私はこの箇所のおかげでいろいろなことを乗り越えられました。聖書にはまだまだ好きな箇所があるので、これからの人生の中でもまたきっとお世話になるのだと思います。

 そしてキリスト教にはもう一つ、とても大好きなものを教えてもらいました。それは「愛」です。「愛することの大切さ」はもちろん、私は自分白身が「尊い大切なものとして愛されている」とを知りました。この言葉を聞くと、いつもむずがゆい気持ちになりますが、何とも言えない幸せでいっぱいになります。いつも自分に自信が無く、不安だった私も、神様からの大きな愛を知り、周りの人たちからの愛を実感することによって自分が好きになりました。決めた事もちゃんと出来ないし、失敗ばっかりだし、すぐ落ち込むし、嫌いな所もたくさんありますが、それらを全部ひっくるめた人間らしい自分が、今は好きです。

 そして、そんな自分と同じょうに大切な存在である、他人を愛することも教えてもらいました。これは、もちろん家族や大好きな友達に対しては簡単なことです。しかし「敵を愛しなさい」と言っている聖書に従うことは、今の私には出来ていません。これが実行できたら、もっと人生は明るくなると思いますが、これはきっと私の一生の課題だと思います。

 このようにキリスト教と女学院は、これからの人生を生きていく上での自分自身の基盤を築いてくれたような気がします。私は、これからもクリスチャンにはならないと思います。キリスト教だけではなく、いろいろな自分に合った宗教や考え方を汲み取って、自分を成長させていきたいと思っているからです。

 でも、この人生の中でも大切で尊い六年間を一緒に歩んだキリスト教は一生特別な存在であり続けるのだと思います。これで女学院を卒業して、生活の一部であった礼拝も終わってしまうのは、本当に寂しい気持ちでいっぱいです。聖書や讃美歌を聞く機会も、圧倒的に少なくなってしまいます。当たり前だったことだけに、まだあまり実感が湧きません。

 しかし、これから大学に入って就職して、結婚して、人生の中でいつかは分からないけれど、また神様が私をキリスト教に導いて下さるような気がしてなりません。そこでふと聖書を開いた時には、一気にこの女学院生活を思い出すのだと思います。そしてそれは、その時の私を幸せにしてくれる、素晴らしい思い出だと自信を持って言えます。

 

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高校に入学するまで、私はキリスト教に触れたことはありませんでした。唯一クリスマスがイエス・キリストが生まれた日と知っていたぐらいで、本当のクリスマスの意味もわからずに、二十五日にはみんなで騒いで楽しんでいました。

 そして女学院に入学して、毎日の礼拝が始まりました。いろいろな先生のお話を聞いていても、結局行き着くところは同じで、そうであることはわかっていても、実際そうなるものかなと、半分信じられないでいました。けれど今思えば、私はその時はまだ何の苦労もしていなくて、心に響こうとも、それだけの苦難や悲しみがなかったのだと思います。そうして月日が流れていくうちに、いろいろなことを経験して、悩むこともたくさん出てきました。そんな時、ふと聖書の御言葉を見て、今の自分の状況にぴったりで心にしみてくることが何度もありました。そうするうちに、本当に御言葉通り希望が見えてきて、「感謝」ということができるようになりました。

 私がキリスト教から学んだことと言えば、希望を捨てずに努力することと、感謝の気持ちを大切にすることの二つでした。どちらも今までも頭ではわかっていたことでしたが、実際の経験を通して感じたことでした。努力が報われるというのは、必ずしも自分が思っていた通りのことになるということではないと思います。その通りでなくても、神様が私に一番良いと判断して下さった道を用意して下さっていて、私たちはその道を歩み、またそこからたくさんの物を得るのだと思います。決して思い通りにならないからといって、悔いる必要はなく、またその道も大切にすればいいのです。

 二つ目に学んだ感謝の気持ち。私はこの学校に来て、自分がどれだけ多くの人から愛され、支えられて生きているのかに気づくようになりました。けれど初めは、その人に本当に感謝している時、その気持ちをどう行動に移していけば良いのかわかりませんでした。何かプレゼントを持っていけば良いのかと言えば、絶対にそんなことはありません。むしろその人は、自分に返ってくることを望んではいないと思うのです。私が最終的に出した答えは、してもらって本当に感謝したことを、本人に返そうとするのではなく、また別の人にする、ということでした。何よりそのことが.-番の恩返しになると思いました。だから私は、そうして幸せを分け与えていってまた自分も幸せになろうと、日々生活しています。

 私が一番女学院に来て変わったと思うことは、自分の気持ちを素直に言えるようになったことです。侮辱するようなことをズバズバと言うことは簡単なことです。しかし、自分は本当に相手を尊敬している、感謝しているという気持ちを持った時、それを本人に伝えることはなかなか照れくさくて言えませんでした。言おうと思えばそれなりに勇気が必要で、けれど思い切って言ってみれば、みんなとても幸せそうな顔をしていました。私は気持ちを伝える大切さというのも、聖書から学んだことだと思っています。直接の御言葉は浮かびませんが、そうして幸せの輪を広げていくことはキリスト教的精神だと思うのです。

 私はこの三年間、この大阪女学院でキリスト教主義のもとで学び、心の成長を支えてきてもらいました。本当に教科書では学べない大切なものを私の中に蓄積できたと思います。今、そんな機会を与えてくれた大阪女学院にとても感謝しています。

 

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